リンさんの旭川滞在日記4

4月のある日曜日、旭川空港へ台湾から来る母を迎えに行きました。暫く会っていない母が私の目の前にどんな姿で現れるのでしょうかと思いながら、首を長くして空港の到着口で待っていました。やがて鮮やかな上着を着た母の姿が見えてきて、母が私と夫の方へ両手を高く上げて振っていました。旅の疲れでしょうか、その時母がちょっと老いたように感じました。車で私の家に向かう途中、周りの風景を眺めながら「あ~、これが北海道かぁー。」と絶えず感激の言葉を口にして、母は念願の北海道の旅ができて大喜びでした。
夫の仕事の関係で、色んな国を回る旅、私は母に自分の住んでいる町を見せようと暫くの間一緒に住み、親孝行をしています。母は、2,3回東京に行ったことがありますが、北海道は初めてです。母は日本語が話せるので、つい最近近くに住む日本人の方と友達になり、温泉にも一緒に行きました。「日本語が話せると思わなかったよ!」と初めて母と話す人が驚きます。第二次世界大戦の終戦のとき、ちょうど母は小学校1年生の頃でした。その時まで台湾は当時の日本政府によって(50年の長い間)占領地とされ、台湾の人々は、日本人の生活や日本語の教育をさせられてきました。そのため今65歳以上で日本語を話せる人がかなりいます。又日常用語にも、日本語がそのまま残されている言葉も少なくありませんが、この3、4年間、テレビの有線放送で日本の番組の人気があるため、台湾人にとって、日本は遠いながら、身近な存在である外国です。短かった日本式生活を送ってきた母が、よく私達に当時の思い出を語ってくれます。広々とした屋敷や庭、そして食べ物も豊富で、何の不自由も感じていなかったそうです。でも、幼かった母は幸せな生活がこんなに早く終わるとは思わなかったそうです。新しい統治者が来て、庶民の生活を又翻弄させました。
母にとって子供の時の生活が一番よかったそうです。日本式建物や庭造りから焼き魚、たくわんまで母の人生の一部でした。今その人生が私を通じて、ほんの少しでも蘇えればいいなぁーと思います。









