ぷくぷく兵村記念館版

旭川兵村記念館シリーズ第5号

旭川兵村記念館シリーズ第5号

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 第5回目は、兵村記念館にある、屯田絵巻や、その他の資料について、ご紹介します。

(5)屯田絵巻(他)

1. 屯田絵巻(屯田物語原画綴)

 屯田兵で、大分出身の広沢徳治郎さんが、70歳をすぎて描いた「屯田絵巻」です。体験者本人が描いた貴重な資料で「屯田物語原画綴」は旭川市の指定文化財となっています。
 広沢さんは大変ユニークで、風流の中(絵画、彫刻、お茶、お花、焼き物など)に広い趣味をもつ多種多芸の人でした。

2. その他、書き物のコーナー

※追悼歌額
 加藤鉄蔵さんの追悼歌額。兵村の教養の高さがうかがえます。加藤隼戦闘隊隊長、加藤建夫少将の父親です。この時、少将は2歳で、少将の母親である起美子さんも詠まれています。筆者の西村惇さんは、永山村の屯田兵、西村清さんの父親で、高知県出身の学識者。この変体仮名はみごとです。

※少女が書いた嘆願書
 日露戦争に出征した屯田兵の父親に、現在なら小学校5・6年生の少女が、病気の母親に代わって書いた手紙。「チョット、オタノミモウシマス…」の書き出しが切々とうったえてきます。

※大テーブル
 大分県出身の屯田兵、木村百次郎さんの土地にはえていた栓の大木を切って作ったテーブルですが、裏には「この卓に向かって食事をする子孫のものは、先祖が屯田兵として苦心開拓した功績を決してわすれてはならない」と末尾に書いています。屯田兵の中に、これだけの文章を書ける人がいたのは珍しいことだったそうですが、この木村さん、福沢諭吉と同じ大分中津藩の下級士族で、大変高い教養のあった方でした。木村さんは、書も沢山のこしており昭和16年発行の『東旭川五十年史』の編集者でもありました。

※加藤少将の生家(油絵)
 陸軍省が、小樽出身の著名な画家「中村善作」さんに依頼したものです。加藤少将が、生まれ育った屯田兵屋と、大雪山を描いた作品です。敗戦後、東京から、戻ってきた作品です。

 当時の軍服をはじめ、元旭川屯田会の会長であった「小山仂さんの父上である「小山雛助」さんのチョッキ。このチョッキは、雛助さんが、17ヵ所もロシア兵に刺されながら、奥さんが寒さを心配して送ってくれた真綿入のチョッキを着ていたため、一命を取り止めたというもの。