旭川兵村記念館シリーズ第7号

第6号に続いて今回も、屯田兵に関する各有名人を、ご紹介していきます。
今回は、「旭川兵村」出身の『空の四勇』についてです。
(7)空の四勇(よんゆう)
Q1. 『空の四勇』ってなんのことですか?
旭川兵村(東旭川)には空にまつわる『空の四勇』と呼ばれる4人の有名な方がいました。
一人目…海軍少佐・赤石久吉さん
二人目…村上五平さん
三人目…中野勝義さん
四人目…加藤建夫少将
この4人を、詳しく、ご紹介していきます。
Q2. 海軍少佐・赤石久吉さん。赤石さんって…?
赤石さんは、屯田兵の弟に生まれ、小学校から成績が抜群だったそうで、旭川中学校をトップの成績で卒業しています。
その後、大正3年、42期生として海軍兵学校も首席で卒業。選ばれて、航空機の研究にあたり、操縦・エンジンの構造など、全般にわたって、マスターした、ただ一人の技術者で「海軍の至宝」といわれていたそうです。
当時、絹張りの飛行艇で、九州から横須賀まで、11時間半で無着陸飛行を達成し、世間を驚かせた勇士だそうです。海軍少佐となり、大正15年3月22日、日本初の金属製(ジュラルミン)の飛行機の試験飛行を命じられます。エンジンに不安が残っていたため、赤石さんは1日延期し「エンジンを調整したい」と申し出たそうですが、ことわりきれずに発進し、エンジントラブルで殉職しました。34歳の若さでした。今日の航空技術開発の尊い人柱です。
動物園のある旭山公園に「海軍少佐赤石久吉」さんの碑が建っています。ちなみに、現在も地元にある『赤石はな屋』さんは、赤石久吉さんのご自宅になります。
Q3. 村上五平さんは、何をした人ですか?
香川出身の屯田兵、村上永太郎さん(現役後、上川有数の豪商になっています)のところに娘さんの夫として養子にきたのが五平さんでした。運悪く、二人の子供を残して先立ってしまった奥さんに、五平さんは悲嘆にくれました。結果「もう命は惜しくない」と、もっとも危険な飛行機に挑戦しようと、羽田の研究所で学び、免許証をうけました。(免許証記念館に保存)
その後、飛行機を購入し、旭川第七師団の練兵場から、滑走路が短いので着陸は無理だと言われていた、東旭川の練兵場に向け飛行を行い、無事着陸しました。羽田に飛行学校を開設する計画もたて、準備は整ったところで、関東大震災に見舞われ、計画が挫折してしまったこともありました。民間飛行家の先駆者であり、兵村からでたことは郷土の誇りです。
Q4. 中野勝義さんって、何をした人?
屯田兵、中野光造さんの次男の勝義さんです。加藤建夫さん(次号で紹介)と旭川中学校で同期でもあります。中野さんは、日本の民間の航空の発展につくした方です。
戦後、乗客も少なく、経営困難に陥っていた弱小航空会社をひとつにまとめ、『全日本空輸株式会社(現在の全日空)』をつくったのが、中野さんです。
ところが昭和35年、十勝国有林に野ネズミ大発生し、駆除のため全日空が薬の散布を請負ます。その監督のため中野さんが乗った軽飛行機が墜落し、57歳で亡くなっています。大変豪気な人で、生きていれば、将来の通産大臣だったと言われています。
Q5. 加藤建夫少将って?
全国的に有名な方です。たくさんのお話があるので、次号で詳しくお伝えします。
それぞれ、最終的には、当時には欠かせない重要な任務を果たした人達ばかりです。現在、安心して飛行機に乗れるのも、過去の、こうした影の力があるからなんですね.
兵村記念館には『空の四勇』コーナーもあります。
旭川兵村記念館資料より、文章をお借りしています。









