旭川兵村記念館シリーズ第10号

いよいよ最終号となりました。今回は、旭川兵村記念館について、館長さんに、お話しを伺ってみたいと思います。
(10)兵村記念館について
Q1. 兵村記念館の資料は、どう集めたのですか?
前、理事長の芦原嚴夫さんと、斉藤玉次さんが、東旭川のお宅をまわり、現在展示されているものを収集しました。
Q2. どのような経緯で建設になったのですか?
屯田兵をはじめ一般開拓の資料を、境内若宮八幡社殿に展示していましたが、昭和53年より新築事業を進め、昭和55年財団設立、昭和57年4月開館しました。一般募金、市・道・自転車振興会の補助金により賄われました。
Q3. おすすめ展示は、何ですか?
当館の目玉展示は、やはり屯田兵・広沢徳治郎の「屯田絵巻」です。大分出身で、70歳を過ぎてから入植時を回想して描いたものです。
Q4. 入館者が関心をもった展示はなんですか?
当兵村の家族が考案して全道に普及した水稲の籾まき機。明治38年、病気で床に伏しながら奥さんと共に苦労を重ねて考案した末武安次郎のタコ足です。これは教科書にも載っているので有名です。また、秋田出身の屯田兵・寺門重和の家に養子で入った寺門千我吉が、明治42〜43年頃に考案したネコ足です。(当館で展示している兵屋は、秋田から来た寺門重和(両親と妹二人をともなっていました)が入居したものです。これら水稲直播機の発明は、当時の北海道にとって大変な発明であったことです。
そして、当館でもっとも目玉的な展示に扱っているところですが「空の四勇」のコーナーです。
Q5. 観光で来た方の反応はどうですか?
道外からのお客さんには大変感動を与えています。『加藤隼戦闘隊隊長』についても「へ〜っ、ここが隊長のふるさとなんだ」と驚きの声をよくかけられます。それに決して好戦的でなかった加藤の一面を口にする人もおり、皆さんなかなかよく調べていますね。戦闘機を操る操縦技術は、けたはずれだといわれますが、本当に飛行機が好きだったのだと思います。
Q6. 今後の兵村記念館について、一言お願いします。
実際に当館の展示をご覧いただくと、単に屯田の人々の歴史や暮らしの展示としてとらえるだけでなく、もっともっと知りたいと思える興味、関心がたくさん見つかります。ぜひ、楽しんでご覧いただきたいと願っております。
旭川兵村記念館館長 上田 良博
10回にわたり、シリーズでご紹介した『旭川兵村記念館』ですが、いかがでしたか?屯田兵を始めとする、あらゆる歴史が、少しでも頭に浮かんできたでしょうか。
近年、この近辺では造成が進み、市内・市外から、こちらに住居を構えるようになったご家庭も増えてきています。ですが、この旭川兵村だった場所に、どんな歴史があるのか、ご存知ない方が多いのではないでしょうか。
今回、シリーズでご紹介させていただきましたが、実際には紹介しきれなかった、たくさんの歴史が存在します。また、生活用具コーナー・消防コーナーなど、今回触れていない展示品もございます。兵村記念館で、そんな歴史を目の当たりにすると、本当に内容の濃さに驚くと思います。
屯田兵の開拓があったからこその『旭川』なのです。その、屯田兵関係の最大の博物館といえる記念館が、こんな近くにありながら、知らずにいることは、非常に残念なことのように思います。
歴史を知ることで、見えてくる今が、たくさんあります。少なくとも、この平和な時代に感謝することでしょう。この平和な時代がある背景には、たくさんの犠牲者や、努力した人達がいたこと、そして2度と繰り返してはならないことがあることも、あらためて知るのではないでしょうか。
少しでも、自分の住んでいる土地の歴史について、興味を持たれた方は、一度、訪れてみてください。たくさんの発見や、あらたな興味に繋がると思います。それが面白いことであることに気付かせてくれる、数少ない場所です。









